1994年の9月の上旬、初めての一人旅、初めてのインドへと旅立ちました。
それまで海外へは会社の慰安旅行でグアムに行ったことがあるだけで、
英語もほとんど喋ることが出来なかったので、とても不安な旅立ちでした。
元来松ちゃんは引っ込み思案でなかなか動かないタイプなのですが、
インドに行かなければ、行かなければ自分の人生が始まらないという思いが、
自分を動かしたんだと思います。
実際今考えれば、インドに行ったことによって本当の自分の人生が始まったと
いえるのかもしれません。
実家の近くの福岡空港から、ソウル経由の大韓航空でボンベイに向かいました。
ソウルではすぐにインド行の飛行機に乗り換えることもできたのですが、トランジットO.K.の
チケットだったので、4日間ほどソウルの観光をしました。
バックパッカーという前提だったので、地球の歩き方を参考にホテルを予約せずにソウルまで来たのですが、
英語がほとんどできない松ちゃんは、空港でそわそわ、なんとか地球の歩き方を参考に観光案内所を
見つけることが出来ました。
その観光案内所は日本語対応してくれるところだったので、簡単にオンドル付の
安い旅館を見つけることが出来ました。
旅館を予約できたのは良いのですが、空港から旅館まで行くのがまた大変。
タクシーを使えば簡単なのでしょうが、やはりバックパッカー、節約でバスで移動。
観光案内所で教えてもらったバスで向かうのですが、乗るのは簡単、
教えてもらったバス停から教えてもらった番号のバスに乗れました。
しかしいつ降れば良いのかわかりません、書いてある文字も聞こえてくる言葉もハングル、
こういう時は近くの人に教えてもらおうと声をかけるのですが、最初に声をかけた
中年の男性は全然相手にしてしてくれなかったです。
やはり日本人が嫌いなのかなーとも思ったのですが…。
なんとか目的のバス停で降りることはできたのですが、そこから旅館までの道のりがわかりません。
電話をすれば迎えに来てくれるのですが、公衆電話のかけ方がわからない。
もう20年以上も前のことなので忘れてしまったのですが、単に効果を入れれば電話を
かけることが出来るというものではなかったような気がします。
どうしてよいかわからず困っていると、サラリーマン風な人が自分の使っていた公衆電話を
使いなさいと言ってくれました。
確か彼の投入した硬貨の残り時間で、松ちゃんも電話をかけることが出来たような気がします。
旅館に電話をかけようとするのですが言葉が通じるのか不安に思っていると、韓国の若者が
「Can I help you?」
と声をかけてきて、代わりに旅館に電話してくれました。
韓国には日本人が嫌いな人が多いのかなと思っていたのですが、実際若い人たちは日本人に対する
こだわりは少ないように思えました。
多くの人の助けを借りて無事旅館に到着。
次の日から2日間ガイドブックを頼りに市内を観光、
4日目にソウルの金浦空港からインドへと向かいました。
つづく。
コメント